ボニファチオ「ドイツの使徒」とも呼ばれる聖ボニファチオは、672年頃に英国デヴォンシャーのクレディトンで生まれました。 修道院附属の学校で教育を受けた後、ベネディクト会のナースリング修道院に入り聖書の研究をしました。30歳で神父となり、宣教師としてゲルマン民族(オランダ・ドイツ)への布教に携わりました。718年にローマに行き、当時の教皇グレゴリオ2世の祝福を受けて「ボニファチオ」(善をなす人)の名を授けられました。その後、チューリンゲン、ヘッセン、フルダなどに修道院を建て、722年に教皇によって叙階され、ドイツの司教となりました。

聖ボニファチオは、52人の宣教師とともにフリースラントにおいて布教の最前線で働いていたとき、754年6月5日の聖霊降臨祭にドックムで異教徒に襲われて殉教したと言われています。このため、聖ボニファチオの記念日は6月5日とされました。 聖ボニファチオの遺骸はしばらくユトレヒトにありましたが、やがてフルダの修道院に埋葬され、現在ではフルダ司教座聖堂の祭壇下の地下聖堂に霊廟が置かれています。

教会印について

ボニファチオ小岩教会の教会印は木と斧のマークです。これは次の出来事に由来しています。

724年にドイツ北部のフィツラーで、村人たちが「雷神トール」の宿る神木として崇拝していた樫の木を、聖ボニファチオが切り倒しました。人々が「天罰が下る」とかたずを呑むなか何事も起こらず、村人たちは迷信の夢から覚め、聖ボニファチオを尊敬して続々と受洗したそうです。

なお、このときに周囲の木々も下敷きとなって倒れたにもかかわらず、若いモミの木が一本だけ倒れずに残っていたと言われています。それを見た聖ボニファチオは「これから私たちは“モミの木”を、幼子イエス・キリストと呼ぶことにしよう」と言い、それがクリスマスツリーの発端になったと伝えられています。

 

※「ボニファチオ」はイタリア語読みで、ラテン語およびドイツ語では「ボニファティウス」、英語・フランス語では「ボニファス」と呼びます。